藤本ひとみ著『いい女』

1万円あったらまず夫と娘たちのためになにができるかを考える。理想的な良妻賢母であることに疑問をはさまず40歳の大台を迎え、それに満足していた詩織だったが、25年ぶりの同窓会で専業主婦の友人と比べても己がいかに女としての華やぎや自分というものを喪失しているかに初めて気づいて慄然とする。家族の無理解という壁、これまで自己を犠牲にしてまで守ってきたものはなんだったのか、家庭というしらじらしさ。エステ、恋、不倫、職業意識の目覚め等を「体験」し「いい女」をめざす40女の反乱記。
さて、アナタはカルティエの名刺入れをお持ちでしょうか?
アタシはもちろん持ってません。名刺入れなんて1000円ぐらいの皮のでいいじゃんぐらいの認識で、実のところ1000円の皮製のすらも持っていないありさまです。営業じゃないので名刺を出しいれする機会も少ないので、ま、いいかと。手帖の間からちょこちょこと出してごまかしてみたりしておりました。でもそれじゃアカンのよね。うん、本書は主婦の反乱ですが、OLのアタシもおもいっきり痛いところをつかれた気分です。カルティエの名刺入れひとつで。
詩織が20数年ぶりに会った同窓生が華やいだ女らしさと手馴れたしぐさで、名刺をくばるのですよ。くそ、かっこいいのだ、これがっ!! いかにもできる女の戦闘小道具感むらむらなのです。はぁ、やられた。形から入るなんてみっともないよという抵抗はありますが、形がヒトをつくるものなのもじゅうじゅう承知。はたから形で判断されちゃうことも多いですし、「できそう」とか「さえない」とか。アタシだってたぶん取引先の女性がおもむろにカルティエの名刺入れをだしたら、やっぱ「おっ、こいつやるな」と思います。幻惑されちゃいます。
そーか、アタシに足りなかったのは、カルティエの名刺入れだ。あるいは、戦闘小道具を持つという意識なのだな(いや、実際はほかにもいろいろあるがこの際は目をつぶってね)。買おうかなぁ、うーん。いくらぐらいするんでしょう。調べました。ネット通販では2万円前後。ううーむ。使用頻度を考えるとコストパフォーマンスが…、なんてことを言っているから「いい女」にはなれません。
本編の話もしときましょう。前半の主婦詩織が、良妻賢母を自認する20年以上の歳月でじわりじわりと殺してきたのは自分という存在だったという虚しさに、胸の底から突き上げてくる叫びに煩悶するところなど、ものすごくリアルでした。もしもアタシが主婦をしていたら、たぶん詩織みたいにいつか台所の暗がりで家族に聞こえないように声を殺して慟哭していたことでしょう。主婦であろうとなかろうと、生きていりゃ慟哭することは多々あります。会社のトイレの個室で泣きました。家で自棄酒くらって辞表を書きました。欝でひきこもったりもしました。どう転ぼうと「もしもあそこで別の道を選んでいたら」と後悔するのがアタシってやつです。ともかくも、ものすごくリアルにもうひとつの有り得たかもしれない人生を疑似体験してしまいました。
ところが後半、ちょっと趣がかわります。実は詩織ってのは何のとりえもない女じゃなくて、フランス文学の翻訳家でもあったりするのですね。25年ぶりの高校の同窓会ってのも、フランスのリヨンにあった日本人学校の同窓会だったりするからくり。まあ、藤本ひとみさんですからフランステイストなかりせばです。で、で、そういった設定あたりから、小説はモテモテ官能小説の様相を呈してきて、おおっなのですが、まあ、それはそれで「100%ありえない自分」ってのを体験できてよいのかな。それこそが小説の醍醐味ってやつですもんね。
ふふふ、面白かったです。