林真理子著『不機嫌な果実』

結婚六年目、過不足のない夫との生活に退屈を覚えはじめた麻也子は、かつて独身時代につきあっていた上司とコンタクトをとる。思惑通りに事が運んで適度な刺激にほくそえみ胸躍らせる。しかしその高揚も長くは続かない。すぐに物足りなさを覚えて、年下の風来坊通彦との恋愛へとのめりこんでいくが・・・不倫恋愛小説。
「自分は人よりもちょっぴり損をしているんじゃないだろうか」と麻也子は首をかしげる。よりよい生活、今よりも豊かな人生を求めて人は努力する。それを向上心とよぶ。たとえ本質的にはただの身勝手な欲望に過ぎないのだとしても、生きていくうえで、ないよりはあったほうがいいものだろう。しかし欲望はくめどもくめどもつきることのない井戸である。努力の末に獲たものも、いったん獲得してしまえばゆるやかにその魅力が磨耗していき、いずれまた「やっぱり私は損をしているんだわ」と不満の種子が萌芽する。そうした不満のローテーションはありがちだ。ありがちだと思うということは、同じ悪癖が自分の中にもあるんだということを認めたことにもなるが、そう、認めよう。しかし何事には限度というものがある。麻也子のそれはえぐすぎて、アタシのありがちの限度を超えていた。ゆえに共感は抱けかった。
林真理子は才女である。これは疑う余地がない。本書でもその才能はいかんなく発揮されていた。冒頭2ページもいかないうちに、その物語世界へひきこまれ、導入部のうまさはそのまま中盤、終盤へといっさいおとろえることなく続く。卓越した表現力で魔性の女のえぐい内面世界をえがきあげる。アタシはところどころで「ああ、なんて巧いんだろう」と動揺させられてしまった。まったくもっておそるべき才能だなあと思う。
林真理子は品がない。俗人であり、それをまた売りにしている。そこへさらに容姿への強烈なコンプレックスというマイナスエネルギーが加わって、才能と俗っぽさとコンプレックスをぐつぐつと煎じ詰めたのが林真理子だ。その臭気は根深い。その才能の前にひれふすのにはまったくやぶさかでない。だが好きか嫌いかでいうと、正直言うと、あまりにも下世話すぎるので辟易してしまう。もう少し品格というものがあればいいのになと思う。面白いけど。