佐野洋子著『神も仏もありませぬ』

『百万回生きた猫』の著者の佐野洋子さんは2度の離婚を経て、ひとりの子供を育て、そして数年前から群馬の山村へ居をうつした。ふと気づけばもう60、不惑をとっくに越えていたって人間はまどうんじゃーと心で静に動揺しつつも、ノンキでその日暮らしな田舎のひとり住まい。ほのぼのとした隣人たちとのエピソードを交えてあわあわ語った癒しのエッセイ。
なんかね、ほのぼのとして、おおらかですっごくイイ。すてき。アライさんとか、サトウくんとか、謎のハヤシさんとか、でてくる人たちがみんなかわいらしい。こんなふうに自然体で歳をとるのはいいなぁ、とりたいなぁ。
惑ってあたりまえなんだと肩の力を抜くことを身をもって教えてくれる。ハタチになったら30になったら、歳相応に脳が変貌しているんだと子供の頃に漠然と思っていたりしてたけれど、むかし嫌いだったワサビや塩辛が好物になったりはしても、中身なんてなーんもかわっちゃおらんのじゃ〜! 50になっても60になっても、きっと本質はかわりゃせん。あとはどんなふうに気持ちよく毎日を過ごしていけるかなのだね。ああ、アタシも田舎に住もうか、なんてなふうにすぐ感化されてしまふのはアタシの自然体。んで、フルヤさんの「ほんとうのはちみつ」がほしくなって、でもムリだから近似値を求めて丸ビル地下のラベイユへすっとんでいったりした。そんなのもたまにはいいか。
読んでるととっても気持ちが軽くなる、肩のちからが抜けていく。
なんかね、西原理恵子の「ゆんぼくん」が読みたくなっちゃったよ。ゆんぼくん (3) (ばんぶーこみっくす)
と、ところが、うひゃひゃ。
最終章「金で買う」を読んだらアタシの気分はふいにネガ反転。死ぬまで幾ら金がかかるのか計算しはじめちゃって、奈落なのであった。アホだ〜。