宗田理著『ぼくらは超いじめられっ子』

さくら婆の家に集まったオレたち元いじめられっ子は、秘密特訓を受けていまじゃ精神的・肉体的強靭さを身につけた。もういくらいじめられても動じやしない。だから今度はいじめの発生した中学に転校していじめの標的になる。いじめっ子たちに己の行為のむなしさを悟らせていじめを元から絶つために。さあ、みんな、ぼくらの仲間にならないか? 著者曰く「ぼくのニューいじめ撲滅作戦」。
そうそう簡単にいじめっ子たちが改心するわけないよなぁ。いじめ行為を続けるのは、いじめている側がいじめられている人間の気持ちを想像できないから。つまり想像力が欠如している。想像力のない人間が訓練しだいでなんとかなるのかどうか。まあ、気づいてないことに、気づくと言うことならありえるか。
そもそもなんでいじめるかっていうと、人間はスケープゴートがないと生きていけないようにできているからだと思う。いじめの根絶は人間の本質が変わらないかぎりありえないし、人間の本質なんてもんがそう簡単に変わるわけじゃないから、いじめの根絶もありえまい。ってことは、問題があったら順繰りにもぐらたたきして潰してくしかないってことだね。一匹を引っ込めても、また別のモグラがでてくるのを承知の上で。それでももぐらをたたいた先にはそれで救われる声があるのだから、たたくのは無駄なことじゃない。ってか叩き続けるしかしょうがなかろう。ところがそのモグラ、最近のはどんどん凶悪化してきているし、モグラが羊の皮を被っていたりする。今のゴキブリは、ゴキブリほいほいなんかはよけて通るし、ウイルスが抗生物質に耐性を持っていっているのと同様に。ホントにどうしたいいんでしょうかねぇ。
というわけで「超いじめられっこ」制度か。これって逆スケバン刑事みたいなもんやね。あ、これユーモア小説です。あくまでも。