殺されたアタシの人権って


最近に限らずニュースを見ていてよく思う。犯罪加害者の人権には神経質すぎるほど神経を使うのにくらべて、犯罪被害者の人権は少し軽んじられてやしないか。犯罪者の精神鑑定や少年法の見直しも大事なことかもしれないが、犯罪被害者のプライバシーにももう少し配慮をしろよと。
たとえばアタシが明日たまたま繁華街で深夜まで飲んだくれて、行きずりで猟奇的犯罪に巻き込まれ、翌朝全裸バラバラ死体で発見されたとしよう。すごい設定だな。でもありえないともいいきれないもんな。翌朝の時点のアタシは、ワイドショー的には、もはや「ほぼ人間じゃない」扱いになる。そりゃ生きてたかもしんないけど、今はもう生きてないしぃーみたいな。生きモノから生きてないモノになったアタシには人並みの人権はない。そりゃさ建前としてはあるでしょうがね、実際には死人にくちなし、ナイも同然。
「被害者の女性(つまりこの場合はアタシ)はいったいなぜそんな非常識な時間まで盛り場をうろついていたのでしょうか?」と眉間にしわをよせて現場付近でなされるレポート。普段から著しく生活が乱れているのではないのか、仕事ぶりはどうなのか、家族関係は、幼少時のトラウマは、隣近所への挨拶は、ゴミだしのルールは、子供の頃の文集には漫画家になりたいと書いてありました、などなど。他に大きな事件がなければ、いやというほどアタシの生活が詮索されまくるのだ。ちとおおげさだと思うでしょ。いやいや、それは甘い。絶対にないともいいきれんだろうが。1997年の東電OL殺人事件や、1999年の桶川ストーカー殺人を思い出してみれば。
人間なんだからさ、たまには盛り場をうろついて羽目をはずしたり、興がのって飲みすぎて終電を逃したり、んで、ちょっと裏道へ入ってみたりしたくなることなんて誰でもあるよ。でもそれはたまたまだろ。事件に巻き込まれるのもたまたまなの。油断していたとかいう非難なら確かにそうかもしれんが、コマンドーじゃないんだから常に気をはっていられるわきゃないでしょうが。それなのに、それなのに。要は、
そこまで余計な詮索をすなっ! 特にワイドショー!!
ってこと。死んだ後に、人としての尊厳まで殺されるような目には遭いたくない。