本日のよろこびごと。(792)


艦長が いなくなっても 艦は動く(喜)
レディスデーで映画を見てきました〜♪
何をみようか『パシフィック・リム』と競って、実は軽くシャーロキアントレッキーだったりしたこともあるアタシ、ベネディクト・カンバーバッチをスクリーンで見たかいって動機も加わってこの映画をチョイスしました。

面白かった〜!
起承転転転転転転結ってめまぐるしさで2時間25分だれることなく、最後までみっちり楽しめた。
カンバーバッチの知的で強靭で狂気にみちた悪役っぷりは想像以上に見事でした。「シャーロック」もええが、こっちのが好きかも。ちょうかっこええ。もう一度いいます。ちょうかっこええ。コマンドーみたいな無敵感で品があり、ターミネーターみたいな不死身感でスレンダー、つまるところバンパイアっぽい。「え、まだ死なないの?」、そのくせ「え、これでやられるの?」みたいな(笑)
ほいで、映画はさすが腐ってもハリウッドだと思ったね。1000円で見させてもらっていいのこれ? 密度がすごい。これでもかという情報量、臨場感、特撮、火薬など、怒涛の迫力と説得力の物量主義に呆れて募金したくなったわ。
ちなみにこの『スター・トレック』は、ドラマ版や映画版がたくさんある中のどこの時代なのかというと、初期テレビシリーズでおなじみの、カーク艦長、ミスタースポック、マッコイ医師らが活躍する時期を、キャストを一新して、カークがエンタープライズ号の艦長になるいきさつなんてところから描きなおした映画新シリーズ第2弾という位置付け。
ここですごいのが、パラレルワールドという設定にしちゃったとこ。だからドラマのネクストジェネレーションや映画で描かれた展開との矛盾はどうなるのかというと、「だってパラレルワールドだも〜ん」でなかったことにできる。そればかりか、かつてミスタースポックを演じてたレナード・ニモイが、老スポックとして登場して若スポックと通信したりするという設定もあったりして、もう滅茶苦茶だよ。
そんなふうに超常的力技を駆使してんだけど、意外と矛盾したところがないうえに、トレッキーのツボをおさえた小憎らしい作りにおさまってるのは監督の力量かねぇ。さすがJ.J.エイブラムス。
お決まりの、「Space, the final frontier…」のナレーションでぞくぞくっときました。
あ、でもトレッキーでなくても楽しめると思うよ。わかりやすくスピーディな展開で、お話の筋がしっかりしているから。ハラハラドキドキで期待をいい意味で裏切ることころ、予定調和で安心させてくれるところのバランスもいい。
カンバーバッチ目当てだけでもじゅうぶんすぎるほど満足するはず。せっかくだから、もう一度いっとこう。カンバーバッチ、ちょうかっこええー。
お気が向いたらぜひ。
(余談)
このシリーズを見てると、
「なぜ艦長や副官が一番危ない場所に小人数で乗り込むの? エンタープライズ号の乗組員は数百人規模でいそうなのに。アメリカンだからなの? バカなの?」
といつも疑問に思うのだが、今回、一つの解釈に思い当たった。
劇中、エンタープライズ号の任務について「観察することであって、文明に介入したり接触することではない」と言及する場面がある。推察するところ、乗員のほとんどが科学者か文官で戦闘能力がないのだ。スペースシャトルパイロットが対エイリアン用白兵戦の訓練を受けてないというのと同じ理屈で(って受けてないよね?)。エンタープライズ号でも武官は艦橋にいる数人のみなのだとしたら、それなら仕方ないのだと少し納得した。でもやっぱトップが自ら危ない橋を渡りまくるのはリスクマネジメント上いいのか?ともやもや。