本日のよろこびごと。(437)

『キャプテン・アメリカ』


アメコミを たかがと侮れぬ 快作(喜)
映画の試写会に行ったのでその感想っ♪

1942年、正義感と愛国心に燃えながらもその貧弱な肉体ゆえに兵役検査で何度も不合格を食らい燻ぶっていた青年スティーブは、軍の秘密プロジェクトに志願、謎の血清を射たれ超人兵士へと変貌を遂げる。しかし、いざ戦地へとの願いむなしく戦争国債販促の広告塔にされ金髪ダンサーを引き連れ全米を興行する日々。慰問に訪れたオーストリィで親友がドイツ軍の捕虜になったことを知りついに暴走…ヒーロー誕生の秘話を描いたマーベル・コミック原作の活劇映画
え、キャプテン・アメリカ? なにそれ?
まるで馴染みのないヒーロー、しかも部隊が第二次世界大戦下のアメリカときた。枢軸国側の日本国民としちゃあちょっとばかし穏やかならぬ気分で見始めたけれど、なーに、これ、意外と拾いものじゃんっ。
片手でど突いただけでふっとんじゃいそうなひ弱丸出しな青年が、隆々たるマッチョな青年にあっちゅー間に大変身しちゃうんだけれども、その前後を演じた俳優さんがまーそっくり。どーなってんのかしらん。本人の特殊メイクか、身体だけ別人で顔だけ後で合成したのか、よーわからんが、よくできてる。
せっかく強靭な肉体に生まれ変わったスティーブ。なのに、彼の生活はただのマスコット状態で、兵士から嘲笑を浴びてしょんぼりしてしまうくだり。ヒーローなんつーもんが滑稽さと孤独さを背負ってこそだということを描いてみせていて、ウマいことツボをつく。いきなり活躍させるよりも、こーいう下積みがあったほうが見てても燃えるもんね。
ヒーローがまったく活躍しないこのあたりにも、予算を湯水のごとく注ぎ込んでそうなシーンがほんの数秒のカットでポンポンと流れる速さで繋がれていく。さすがハリウッド、モッタイナイ精神皆無(笑)
燻ぶり続けた似非ヒーローが親友の窮地を知り、単身敵地に乗り込んで、そこからの活躍はそりゃーすげーです、ランボーなみ、いや、プレデターシュワちゃんか。とにかく彼だけはどんなに撃たれても被弾しないっていうあのパターンね。まったくもって強引さもここまでくると胸がすく、ってやつ。ヒーローといえど、彼実は身体能力は人間の数倍くらいになった程度にすぎず、空が飛べるとか、手から粘着性のある糸がでるとかいった特殊能力があるわけじゃない。傷の治りが驚異的に早いぐらいで、撃たれりゃ普通に死ぬだろうし、痛みだってあるはず。でも、そんなこたーどーでもいいんだ、ヒーローだもの。
つきもののヒロインとの短い逢瀬で燃え上がる情熱的な恋もなかなか趣があってよいです。お相手は強気な女将校さん(ヘイリー・アトウェル)。70年も前の時代を舞台にしているよさが全面にでていて、当時の野暮ったさと奥ゆかしさ、そしてレトロなシャレ感とかっこよさがまじりあい、キスも接吻の情感。さらにラストが…いいねぇ、哀愁あります。
敵役のレッド・スカルのおどろおどろしさも、いかにも古めかしいワルモノ臭が漂っていてイイ。もともとはナチスの化学部門<<ヒドラ>>の責任者だった普通よりちょっと陰険で悪質なだけのただの人間だったが、同じ科学者により肉体改造をされていた、いわゆる最初の被験者。すべてがウマいほうに転んだスティーブとは違って、人間らしい顔を失い(赤い骸骨に薄皮一枚貼り付けたように変貌)、さらに「肉体以外でも被験者のあらゆる部分を増幅させてしまう」という血清の特徴により悪の本性が増幅されてしまっていた。ま、失敗作よばわりされちゃあねぇ、そりゃゆがむよねぇ。
同程度の肉体能力を持った人間同士の泥臭いバトルは、結末がわかっていても面白い。強すぎず、弱すぎずの加減がまた絶妙で。
ただのコミックムービーと侮るなかれ。この映画はいたるところで「ウマいなぁ」とうならされるんですわ。見てる間はそんなこと考えず、ただ「すげー、面白れー」なんだけども、終わった後に「あー、うまくできてたなぁ」って感心する程度の自制も効いててホントウマんだ。
さらにこの映画のウマさの白眉は冒頭で示唆されていた、悲劇の予感へのつなぎ方。そこがいいからラストの余韻がすばらしい。ほんでもって、
「早く、続きを見せてくれ〜!」
そう思ったなら、もう術中にはまったも同然。エンディングが始まっても席をたってはならぬ。最後の最後に次回作『アベンジャーズ』の予告へとつながるというカラクリがまっている。いちおう、本編の続き的な部分もありつつ、サミュエル・L・ジャクソン、こんだけかよ!的な。
「っつーか、これって、壮大な予告編だったのかよーーっ!」
的な。ま、面白いからいいんです。