本日のよろこびごと。(399)


ハマるとか ハマらんとかいう 踏み絵(喜)
おおっと、油断してたら8月過ぎてるじゃん。少しおいての更新はやっぱりドラマの感想♪
桜蘭高校ホスト部」の感想でさらっと題名を出したわりに実はみてなくて、でもドラマ大好き主婦Rさんが、
「アナタがところどころにかいた「ヨシヒコの宅間伸」「ヨシヒコの佐藤二郎」のヨシヒコがとても気になり、そして見ましたよ「勇者ヨシヒコと魔王の城」。すんごいおもしろくね? 大・大・大爆笑!!!! その前にみた「桜蘭高校」の内容がすっとぶほど、こんなにドラマで笑ったのは「木下部長とボク」以来でしょうか。まだ3回目はみていないけど、今週は絶対リアルでテレビで見よう!とココロに誓ったアタクシでした。こんなおもしろいものを教えてくれてありがとー…ん? 考えてみればブログには書いてないよね? なんで? おもしろいのに♪」
と力説するので見ることにした、ヨシヒコ。1〜2話を見終えての感想を以下に書きます。

なーるほどね。これはハマるかハマらんかすこぶる明暗をわける。自分は意外にもあまりハマらなかったです。
いや、面白いとは思ったよ。ギミックがわかりやすすぎて冷めちゃったところがあったのかもしれない。
特撮ファンタジーのコスプレものというドラマの中でも湯水のように予算を掛けないと無様な出来になりかねない題材に挑戦し、オープニングタイトルであえて“予算の少ない冒険活劇”と銘打ち、低予算をあからさまに笑いものにしちゃうおうという「西遊記」の開き直り型パロディです。みたいな感じかな(笑)
ストーリーは意外にもきちんと寓話的。
たとえば第一話、真の勇者にしか抜くことのできないエクスカリバーのぱくりエピソードでは、村の若者がいくら力をかけてもダメなのにヨシヒコの場合は手を添えるより前に岩から剣がポロリ、落ちてきたところを反射的に手で受け止めただけの彼が、「え、まだなにもしてないけど」とおろおろしているうちに勇者に祭り上げられてしまう展開なのだが、お人よしのバカを勇者にするために村人が裏で結託して抜けないふりをしていたとも読みとれるようになっている(気がした)。しかし旅に出たヨシヒコは、人の好さと鈍感さを武器になんなく危機を乗り越え、敵をも仲間につけていく。世界が全員ヨシヒコだったら争いごともなくなりそうだ。2話目の「もしも人身御供がブスだったら」というのはもっとわかりやすい。「ブス」連呼に堪えた渡辺直美はさすが。
演出は、チープさを誇張。
たとえば旅立ちの場、妹との永の別れのシーンで馬上の人となった主人公の上半身は揺れるが、ワザとらしいカメラワークで馬をいっさい映さない。カットが変わるとヨシヒコはただ森の中を歩いている。「え、馬、何それ? そんなの関係ねーよ」という暗黙の「なかったことにしちゃう」お約束。この手のわかりやすい約束を媒介として、視聴者と共謀感を分かち合おうというやり方。
そこである程度視聴者にすり寄っておきながら、
「でもそこは俺らはプロだからそうそうは思い通りにはなりませんよ」
という気骨も示す。
宅間伸は出演しているというだけで気骨に値する。ヨシヒコに殺意を抱いた奴らが旅の仲間に転身する際の”問答無用さ”、薬草と父の行方というヨシヒコの最終目標が第一話で解決してしまう“こだわりのなさ”で視聴者を突き放しておく。
その一方で、ムラサキの引っ込む剣先とか「思いついたから全部やっちゃいました」的小手先ギャグでご機嫌伺いも怠らず、「やっぱりついきてくれるよね?」と。どーしたいんだよ、お前は(笑)。なんかわがままなんだよなぁ。
プロとアマチュアのグレーゾーンを徘徊する自由さ、視聴者と製作者の垣根の低さを感じさせてくれるところ、そういうのがたぶんテレビ東京の深夜ドラマの良さだと思ってたんだけども。いつの間にかそこに素直にハマれなくなった自分がわかって悲しくなる、そんな踏み絵ドラマ「ヨシヒコ」なのでした。