地震のこと(12)


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後日談。
マンションの電話と上下水道が復旧するまでは2週間を要した。それまでトイレは建物をでて十数メートル歩いたところに設置された仮設トイレで。ありがたいことだが、プライバシーの喪失感といったらナイ。情けない話、一晩を過ごした後は内陸部にある実家へ避難させてもらうことにした。実家へ移動する際、帰宅困難者のラッシュと重なり乗り換え駅の改札周辺が通勤電車並みの混雑で、つぶされて死ぬかと…。
実家周辺はほとんど被災しておらず、驚くほど平和。計画停電にも1度もひっかかることなく、今回の地震に対する親と自分の意識のかい離にときおりむなしくなることも。
2週間後に自宅へ戻ると町中いたるところ工事現場の様相を呈し、そこらじゅうに赤いパイロン。砂埃対策のマスクは必携、足元注意、よそ見をして歩くと転びかける。
マンションは、敷地内の段差が砂利・アスファルト・土嚢で応急処置がほどこされ、電話、上下水道も復旧していた。といっても上下水道はまだ仮で、敷地内の地面を仮配管が這い回っている。
水は放射能うんぬんに関係なく、水質検査が済むまで飲用は控えるようにとのがお達しがあり、検査までさらに1週間。その間、すでに給水車もこの地域での活動を終えており、品薄な飲料水をなかなか入手できず困った。排水に関してもいくつか使用上の注意事項。
ただ不自由さが残ったとはいえ、仮でもなんでも蛇口をひねれば水が出る、排水溝に水が流せるってスゴイ。そのありがたみは一度でもリアルで体験しないとわからないかもしれない。
特に下水。
水は外から調達できるが、排水を一切流せないというのは、すべてをバケツにとりおいて排水回収所にもっていかないといけないということ。歯磨きの水も、カップ麺の飲み残しも、ぜんぶ。風呂や洗濯ができないのは言うまでもない。
状況が改善されて自宅で眠れるようになった。地震直後はほとんどニュースになることのなかった関東での液状化の現状が最近では徐々に報道されるようになってきた。あまり報道されるのもヤダなと少し思う。
いまだ寝室ではなくリビングのソファで寝るようにしている。手の届く範囲に、テレビのリモコンと鞄を置いて。昨夜の本震とも思しき余震の後に、靴下と靴もそこへ加えた。いまだ予断を許さない状態でもそれがほんの少しの安心をあたえてくれるから。
(おわり)