地震のこと(10)


22時頃*1、敷きマットを配布するという放送があり1階へ受け取りに降りる。厚さ2センチ程度、広げると一畳ほどの広さ。1人1枚支給。
敷き物にしていた毛布をマットに差し替え、毛布を本来の用途へ戻す。最初にマットと毛布をセットで配らなかったのは、宿泊を要するかギリギリまで判断を保留していたからなのだろうか。
その少し前、万一の津波に備えて2階からの退避指示があり、4階の教室は少し過密になっていた。マットを広げるのを4分の3サイズまでにとどめる。足が少しはみ出すが我慢、3枚並べて女3人川の字で横になる。息子さんは別の教室で旧友らと修学旅行気分を味わっているようなのでこの場は3人で保守。
毛布と上着をかぶりタオルを顔に載せて少しウトウト。
23時頃、夕食の炊き出し。ラップにつつまれたおにぎり1人1個、おかか混じりでほんのり暖かい。空腹を感じてはいなかったのにあっという間に完食。めちゃくちゃうまかった。
携帯電話はメールも含め繋がりにくいようだ。
ヒロインは避難所に到着して以来何度も都内の夫へ向けて携帯操作をしていたが、いまだ連絡がとれていない、メールが届いているのかすらわからないと不安を募らせる。携帯の電源がつきかけて充電器を貸してくれる人を探すが、同じメーカーでも仕様が合わない。そんな心痛の中でも周りを気遣い、倒れそうなハンガースタンドを家族連れから遠ざけてあげたりしていた。
一方、心配性ママは西日本に単身赴任中のご主人と携帯でなんとか連絡が取れ、胃痛も収まったようす。メールだけでなく声を聴くこともできて、
「どうにかしてこちらへ合流するというんだけど東京まで戻れたとしても在来線が動いていないし、逆に今来られても…ね」
と軽口。ふらふらして所在の知れなくなる息子をたしなめる余裕もでて、
「ちゃんと居場所だけは言って行きなさいよ」
当の息子は最初から現在にいたるまでマイペースで飄々としていて、逆に安心感を与えてくれる。
携帯を持たない自分は…寝るしかねーなと再び顔にタオルをかけて横になる。一晩中、部屋の明かりは煌々、テレビもついたまま。聞くともなしに震災情報が耳に垂れ流される。いいニュースは一部の津波警報が注意報になったことぐらい。
余震にも悩まされた。強い揺れに何度となく跳ね起き、
「今、また、揺れましたね」
「大きかった…まだ揺れてます?」
そんな中でも幼児らはスヤスヤ安眠、ゴロゴロ寝返りをうつ。まったく、なんてたくましいんだろう。うらやましい。

*1:実は時間の記憶は結構あやふや