SPドラマ『星ひとつの夜』(再放送)


殺人で11年服役した中年男(渡辺謙)とネット株売買で数十億の金を動かす青年(玉木宏)がたまたま交流を持ち、男の無実を信じた青年が大弁護士団を結成し…というようなストーリー。
ハリウッド映画なら、真犯人による目に見えない妨害工作と戦いながら真実を求める青年、弁護団に参加した美貌の司法研修生とのラブロマンスあり、謎の脅迫者、深夜のカーチェイスなどを経て、ふとしたひらめきからたどり着いた驚愕の真実。司法の女神による真実の裁きが下るとき、静寂につつまれた法廷に陪審員の「not guilty」の宣告が響きわたる!とかなったりするんだろうが、これは山田太一脚本なので「たまたま交流をもち」がメインで、「あんたの無実をオレがはらしてみせるよ!」というところまでで話が終わってしまいます。でもそこがなんともいえずよいのだな。
小うるさい会話の応酬、他人のお宅へいきなりあがりこむずうずうしさ、人の気持ちをえぐるようなことをさらりと口にさせる鈍感さなど、山田太一節は健在です。例えば、中年男と青年の出会ったばかりの会話なんざこんなふうにうざい、
「あんたのことが知りたくて」
「知りたくってって?」
「いやなんていうかへんな意味じゃなくて」
「へんな意味?」
「あ、へんな意味っていうかなんていうか、ただ…」
「ただ?」
「つまり」
「つまりって?」
「アンタなら信じられる人だと思って」
「なにも知らないくせに」
「いや、そりゃ知らないけど」
「ほらみろ」
「だけど」
みたいな。あ、あくまでこんなふうなイメージだったなーと今捏造したんで、そのまんまじゃないですけども。こういう短い不自然なセリフのやりとりでも上手い人が演っているとそんなに小うるさく聞こえないのだということを今回、謙さんと玉木君で気づいてしまいましたよ。よって『ありふれた奇跡』が本当に山田太一が完全に時代遅れなのかわからなくなりました。10年ほどしか遅れていないのだけれど、演じ方で20年前の古物にみえてしまうのかもと。え、いずれにせよ現在にマッチしていないことにはかわりない? そうかも〜。
おっと話がわき道へそれてしまった。
渡辺謙玉木宏も、それ以外の登場人物もほぼすべてがうつむき加減でずーっとおずおずしています。しゃべり方も態度もぜんぶ、どこかしら引け目のようなものを抱えた屈折がある。そのくせ妙なところは人懐こくて、「なんだかどうしてもこうしなきゃいけない気がして」ずかずかとプライバシーに踏み込んで、踏み込まれたほうも「こんなこと言うまいと、一生言うまいと思っていたけれど」と言いつつ詳細に包み隠さずとくとくと臨場感たっぷりに語る(ここは再現フィルムでした)。そーいうのがちょっとおかしい。んで、ちょっとはずかしい。謙さんと玉木の関係が不自然で、なんだかとってもホモっぽいんです(笑)。
ま、少しはズカズカしなきゃ控えめな人格ばかりだと、話が展開しないもんね。相手に拒絶されたらそれっきり、話さないと決めたらもう頑固一徹墓場まで、だったらドラマが10分も続かんよ。
いろいろなありえねー!を微笑ましく見、終わったときには「なんかいい夢みたな」って爽やかな気分。おずおず君たちもラストには、こうべを上げてやや快活になっていて、ああ、よかったねー、なにかを得てひとつ乗り越えたんだねー。ハリウッドならこれからだろ!ってトコで話を投げ出されても、その後を視聴者一致で断定できてしまうから後の描写はいらんのだ。絶対的に幸せな余韻がいつまでもあとを引く。
はい、素直にいえます。
「見てよかった〜」