光市母子殺害最高裁判決に思う


(注:今日はちと過激なことを書きますので、気を悪くされる方がいたらごめんなさいね。ヒトにはそれぞれの意見や考え方というものがあるのです。そして感情もある)
アタシは死刑賛成派です。
最高裁の判決が下された(審理差し戻しだった)日のNHKニュース9でインタビューに応える被害者遺族の夫の、感情の葛藤を乗り越え理路整然と語る姿をみていたときに、しみじみと被害者ってのは報われないなあと思いましたよ。差し戻しでまた長い裁判が始まる。彼はいつまで戦い続けなきゃならんのだろうかと。
被告の元18歳男は年が若いから更正の可能性があるだなんて、ふざけるな!と言いたいね。18歳であーいうことをしでかすやからは脳の回路のどこかが切れておる、病気です。切れた線は残念ながら今後つながることはありゃしません。たまにそーいう人間が生まれてしまうのは否定しようがない事実でしょう。前に姉妹を殺した男がいみじくも「出所したらまた同じことをする」といったように、おそらくこの元18歳の男も同じことをするでしょう。獄中から友人にあてた手紙からも彼の性根は明らか。だからアタシは死刑に賛成。
実は今回の報道ではじめて知ったんだけども、日本には終身刑というものがないんだそうで、無期懲役の上が死刑。無期懲役は無期といっても20〜30年ぐらいで出所できてしまうらしい。恩赦があろうと模範囚であろうと絶対に出さない終身刑か、あるいは懲役900年みたいな(アメリカの裁判とかでならあるよね)ほとんど意味的には終身刑に等しい刑罰をかせればよいのに。
ネピアさんの意見
「激しく同意。ウチはダンナともども、以前から死刑擁護派なのだ。
たけしも「人権なんてのはまともな人間にだけあるもので反社会的行動をした人間に人権はないし人権を保護する必要もない」というのはもっともだと思う。なんてったって、また同じことをやらかす可能性が充分にあるんだもん。百歩譲って、犯人に更正する可能性がちょっとでもあったとしたって、一瞬にして理不尽に命を奪われた被害者とその遺族をないがしろにしてその可能性を守ってやる必要なんてどこにあるんじゃ?
あと、「犯行時に正常な精神状態だったか」「責任能力があるか」てのが有罪判決の争点になったりするけど、あれもどうかしてるよね。頭おかしきゃ人殺してもいいのかって。責任能力なきゃ死んでもらえばいい。よくニュースなんかで殺人犯が「反省している」かどうかって話が出てくるけど、そんなもんも関係ないしね。いくら反省しようが悔い改めようが、そんなことは知ったこっちゃないよ。やった犯罪には変わりないし、加害者の改心や社会復帰なんかで遺族の気持ちが収まるわけじゃないんだから。
とはいえヨーロッパは確かどこも死刑がないし、死刑が多いとされてるアメリカでもいくつかの州では禁止でしょ?世界的には死刑制度はなくなっていくのが流れらしい。ショーン・ペンの「デッドマン・ウォーキング」とか、キェシロフスキの「殺人に関する短いフィルム」とか、死刑制度を問題視した映画もいくつかあるけど、ああいうの見ても私は死刑賛成。仮に自分の家族を殺した人間がのうのうと生きているなんて耐えられない。せめて終身刑が欲しいよね」

おっしゃるとおり。アタシも激しく同意っす。
終身刑も、犯罪者を刑務所で死ぬまで住まわせて食わせてやらなきゃならんのかと思うと腹が立つ。死刑にしても、たとえ執行されたところで遺族の事後は終わらないんだろうけどね。喪失感は癒されず、壊れた幸せも戻らない。さらに死刑というもので生殺与奪に関与したということは心のシコリになるやもしれぬ。結局のところ犯罪被害者はいつまでも救われるもんじゃない。たまらん。
痛ましい事件はふせげるのかというと実際問題ムリでしょう。じゃあ罰をもって犯罪を抑止することはできないのか。アタシはある程度は効果があると思う。「人を殺すのは少年のうちに」とか「一人殺したぐらいならうまくすれば7年ででられる」と法律を逆手に解釈できてしまうのは、死刑云々以前に刑法が甘すぎるってことだもの。厳罰主義かって? 違う、今がゆるすぎなんじゃ。