新潟県中越地震


ちょうど夕食の支度をしていた。ロールキャベツを火にかけて、テレビを見ている最中にギシッという軋み音があった。わりと大きめの揺れがくるときにはいつも、揺れを体感する直前にこういうギシッがあるので、「あ、くる…」と心の準備ができる。まあ、それも震源地からいくらか遠いからだからだろうけども。横揺れがくるやいなやガスコンロへ走って火を消して、食器棚を手で押さえた。揺れが収まるとすぐにテレビをNHKにあわせた。それが夕方の5時半の1回目の地震だった。家のあたりは震度4。
それから何度もぐらぐらし、そのたびにコンロの火をつけたり消したりさせられた。テレビではアタシが床に入るまでまでずっと地震ニュースを流し続けてくれていたが、停電で暗くなった長岡の街の風景からはどれほどの被害が発生しているのか読み取れない。情報が入らないくらいに、ひどい状況なのか。神戸の震災では、第一報ではたいしたことがないように思われたのに、それから恐ろしいほどに被害状況が拡大していくのに呆然とさせられたことを思い出した。静か過ぎるのは、また怖い。情報がないことが恐怖心をあおるということだ。この日は、普段はなにがあってもうまいもの旅番組なんかをのんきに流し続けるあのテレビ東京でさえも、8時代にはニュースに切り替えていて、え、あのテレビ東京まで…なんてなふうに不安を誘発させた。9時になってからはテロップ枠だけは残しながらも普通に『アド街っく天国/千駄木・根津』を放映していたのをみて、それが少し気持ちをおちつかせてくれたが。おかしな存在感を放つ放送局だよなぁ。
朝になり被害の正確な状況が伝えられるようになった。震度6が3回も立て続けにあったわりには、あくまでもそのわりにはだが、被害は少なめにすんでいるようである。しかし新潟は台風でも堤防決壊などで大きな被害をうけたばかりだ。台風の爪あともまだ完全にいえてないというのに、なぜこんなに同じ場所に天災が重なるんだろう。地元の人間はやりきれない気持ちだろう。
一方首都圏では台風も地震もさほど大きな被害をもたらすことがなく、なぜか自然にお目こぼしをいただいた状態になっている。とても幸運なことなのか、それともこれから大きい災害が予定されているので、それまで少しだけ執行猶予をくれているのか。いやいや、自然の神様なんてもんはそんなにあれこれ考えているわけじゃなかろう。たぶん気まぐれなのだ。だからいつかなにかしらが首都圏にもくるだろうけども、こないかもしれない。「停電しているので、住民が情報を得る手段はいまのところラジオだけ」と聞けば電池式の小さなラジオを買わねばと思い、ペットボトルの水が配給されるのをみて、大きなペットボトルを1本確保して、と思う。16年前に引っ越してきた際に市から支給された非常用防災袋の中身をはじめて点検して、期限切れのものを処分したのが1年ぐらい前。処分はしたが、補充してはいない。備えあれば憂いなし…にしとかないといかんとしみじみ重い、今日もニュースを見続ける。
それにしても日記の内容が災害関連続きというのもやりきれんことである。