内田康夫著『鯨の哭く海』

捕鯨発祥の地、和歌山県太地を舞台にした浅見シリーズ最新刊。
鯨肉といえばアタシは子供のころに父親の酒のつまみに出される鯨ベーコンをもらうのが楽しみでした。外側が赤くて茶色い肉みたいな部分が申し訳程度についていて、あとは白い脂身がぐわーっと広がっているやつ。あれはかなり美味かったなあ。逆に不味い鯨の思い出は給食に出たぼそぼそして甘辛い鯨の角煮。これでどうやって食パンを食えっていうんだ〜と、泣いたことを思い出します。当時は給食を残さず全部食べないと開放してもらえない非人道的な教育がまかり通っていて、食の細かった(今じゃ想像もつかんが)アタシはこういう苦手なおかずの時にはいつも昼休み一人いのこり給食をさせられてました。うげーっと、ときおりえづきながら食い続けることを強いられて、うーむ、あれは今からすれば合法的なイジメやね。人間個体差っちゅーもんがある。食えないもんは食えんのじゃ。
あ、話が横道にそれすぎましたようで。そうそう鯨ね。捕鯨と鯨食文化を今後も日本の伝統文化として世界の趨勢に逆らってまで続けるべきかどうかという議論が本書の中でもあって、別に鯨が食えなくても死ぬわけじゃないのだからアタシは捕鯨固執しなくてもよいんじゃないかと思ったわけです。浅見探偵と同居している甥や姪の世代(十代ね)になると「鯨を食べる」ということにまるで「猫を食う中国人」の話をきいたような反応をしめすむきもあるようで。鯨文化が途絶えてしまうことが心配なら、今は昔と違っていろんな記録方法がたくさんあるので、思う存分DVDなりのメディアに思う存分データを未来のために保存しておけばよいのではないでしょうか。鯨にこだわるのは過去への感傷という気がする。そんな年寄りの感傷で世界を敵に回していてもシンドイだけっしょ。鯨が増えると海洋資源が枯渇する惧れがあるというけれども、ニシンや鰯の漁獲高が減ったのは人間(ってか日本人)の無軌道な乱獲によるもの。捕れる時にはとことん捕り尽くす、食いきれない分まで捕って山に捨てる。そんなおバカなことをしていなきゃ、多少鯨が増えたところで不安になりはしなかったろうに。鯨よりも捕るべきものが他にある。
まあ、鯨さんを食べるのは可哀想という考え方もアホらしくてどうかと思うが。