韓流とアタシ(3)


今日は韓国ドラマにはまる理由を実感をもとに考察してみよう。
懐かしさを感じるとはよく言われるところである。ドラマの情景に、かつて日本にもあった良き日の景色や庶民の姿を重ねてみることができる。ほのぼのもし、安心もする。公園、海辺、湖畔、高原などが違和感なしに郷愁をさそう一番近い国。「そういえばアタシもこんなトコで書生さんと…」などと昔の恋を思い出し、ずずずと茶を啜る母、みたいな。そこまで古くはないか。とにかくロッキー山脈やマイアミじゃこうはいかん。
登場する青年たちの礼儀や自制心に、「今の若いモンは」という憤りを抱えた胸がすく。目上を敬い、親や家族を一義に考える儒教精神。その精神は下半身にも及び、3回目のデートでホテルなんてことはまずありえない(という世界感で描かれているので、実際の韓国若者性事情がどうだかは知らん)。憎からず想う男女が遠方で暴風雨に遭遇し宿のひと部屋で夜を明かすことになっても、な〜〜んもなし、あってもキスぐらい。「ちっ押し倒せよ、根性なし」とTV前のアタシがやきもきするほどに、ピュアで紳士淑女なかれら(「ロマンス」「冬のソナタ」)。そのくせ宿泊の件を知った周囲が「なんもなかったわけない」とふつうに邪推するのは何故だろうか。まあいいけど。そんなふうに行動に関して節度抑制の効いた青年は、そのぶん口が達者になるみたいで、「好きだ」「愛しています」とか想いのたけはずばずばと。潔くて、かっこいいねぇ。ああ、こういうとこは少女漫画の世界に通じるかもね。
そう、かつて日本にも実在しなかったが、でもあったらいいなと思っていた昔のドラマや漫画に重なる懐かしさもあるわけだ。百恵ちゃんが白血病になったり、異母兄弟と恋におちたり、記憶喪失で彷徨ったりした、あの赤いシリーズとか。身分を偽ってバイトしていたコンツェルンの跡継ぎと身分違いの恋に落ちる、なんてな大時代的な設定も昔の漫画ではよくあったもん。でもダサくないのは、舞台がわりとトレンディだから。赤いシリーズ大映ドラマにはまり、トレンディドラマにもはまった団塊が腰砕けになるのもわかるわ。
シンデレラ気分で現実を忘れる。「冬のソナタ」「イブのすべて」「星に願いを」「真実」「美しき日々」「秘密」。どれもこれもヒロインが御曹司と結ばれる。シンデレラストーリーにはまるのはこれはもう女の本能。最後が強引だろうがハッピーエンドなら許される。
言葉づかいを愉しむ。吉永小百合・浜田光男の往年の爽やかカップル(映画の中の話ね)みたいに物言いがとても丁寧で、親しくなっても「ミニョンさんは…なんですね」と、「さん」づけでちょっとしゃべりは堅いまま(「冬のソナタ」)。間違っても「えっ、おめー・・・なのかよ、うっそー。マジぃ? マジマジまーじでー?」なんて言わん。これは翻訳だからというわけでもなかろう。まあ、こうした丁寧なやり取りを日本語吹替で聞くとちと違和感があるのも正直なとこだが、そういうのを愉しむのもまたオツ。
先物買い感。先物買いは、人気に本格的に火がついて後発組みが追ってくるからこそ達成感や優越感といったプレミアがつくわけ。だからまだ煙の燻る気配もない、ブラジル産ソープオペラやデンマーク版『渡る世間は鬼ばかり』じゃダメなの*1。そういう意味でも韓ドラは"今が買い”ってか、もう遅いぐらい。
未開の地を制覇する喜悦。女優男優脇役含めて徐々に顔なじみになって、「この女、あっちではヒロインのママやったやん」「この娘、こっちでも当て馬にされてるよ」とかいう指摘がバンバンできるようになったらもう快感。メインより脇のがよりポイント高し。脇役専門俳優に固執して愉しむ悦びは外国映画でもあるけれど、同じモンゴロイド同士で個体識別が容易だし、韓ドラ俳優界はその裾野が日本よりも狭く、すなわちジグソーパズルのパーツが少なくピースがするするはまるという次第。初心者もすぐに遊べて楽しいのだ。
ムリな展開にのけぞる。前フリがなかったのに最終三話でいきなり男が病に倒れて死にかけるとか、ふいにヒロインが海外留学して3年後に話が飛ぶとか、あるいは、離れ離れの恋人に会いに行くときにはかならずといっていいほど交通事故に遭遇するとか、最終回で意地悪な女がいきなり改心するとか、「またこれかよ〜」「なんなんだよー」とぼやくのがまた愉しい。愉しめなくなったら観るのをやめればよいだけである。つじつまが合わないのは当たり前、そこが快感につながるようになればもはやツウ。ちなみに最終回近くになればなるほどムリな展開が多くなるので堪能したければ堪えて最後までつきあうべし。
まだまだ理由をあげつづけたら切りがなさそうなので、このへんで。
え、ヨン様の爽やか笑顔が理由だろうって。はいはい、そうでした。彼こそが韓ドラの伝道師であったことは否定できず、その笑顔なしでここまでブームが沸騰したかというとあやしいのは事実である。それについてこんなエピソードが。『冬ソナ』の地上波放送が始まる少し前のこと、まったく韓国ドラマに興味のなさそうな友人のN嬢がふいに「あの韓国の俳優(ぺ・ヨンジュンのこと)、もんのすごく綺麗な顔をしているよね」とのたまった。ちなみに彼女の家にはいまだにビデオがなくBSも映らない*2。いったい何処でみて、そう言っているんだろうか。アタシはこう答えといた。「そうかなぁ。横顔は確かに綺麗だが、正面からよく見るとわりと普通じゃない?」。そして後日談。地上波の放映がはじまった後のN嬢「確かにそこまでいうほど綺麗じゃないわ。メガネをとったらわりとよくある顔かも…」と。でもハマって『冬ソナ』は観続けているもよう。どうやら彼女の脳には事前にマスコミによって「ヨン様=超美形」という刷り込みがなされていたようだ。ハマル理由の筆頭は、マスコミの煽りにあるようで。

*1:該当するブラジルドラマやデンマークドラマがあるかどうかは裏づけなし

*2:さらにいうとテレビはあるがリモコンがない。パソコンはないがデジカメがある。