『天才華道家の美しき挑戦 假屋崎省吾展』

横浜三越4階特設会場にて <5/11-17>*1
会場を訪れる中心層は50代以上の女性で男の姿はみかけられず、「ウチラが平均年齢を下げているよね〜」と他愛ないことを喜んでみたりする。天井が低い。大きな華道作品を展示するのならば4mは欲しいところ。広がりを意識した作品が、天井の低さのせいで閉塞感を強くさせ逆効果になってしまう。

最も大きな作品は3畳ほどのスペースを使用。中央に切り株を組み合わせた高さ1m程度のオブジェ、そこから彩色が施された1〜2m長の枝が上方の空間を埋めるように四方八方へと伸び、床の高さに大きな蘭2〜3鉢が一見無造作に置かれていた。青みを帯びたライトに浮かび上がるその幽玄な情景は、華道というよりも、まるで前衛芝居の舞台装置のよう。そういえば以前TVで拝見した彼の華道家としての作品は、パーティ会場という舞台を飾ったものだった。そのときは「へぇキャラだけの人じゃなかったのね〜」と失敬なことを思いつつも素直に感嘆したもんだが、花による空間プロデュースが得意ならばとうぜん舞台装置にも通ずる。そういった仕事も手がけているのだろうか?

会場には花に動物モチーフを組み合わせたものがあった。極楽鳥花に雉(?)の羽をつけたもの(ベタだねぇ…)、花に孔雀の羽をあしらったもの、蝶の標本を止まらせた枝ものなど。動物の気はわずかで植物の気を消してしまう。ケモノ臭がただよう感じがしていささか居心地が悪い。

華道展を訪れるとたいてい*2、植物そのものの生命力を感じ取ってすがすがしい気分になって帰る。ちょっとした植物浴である。たとえどんなに、切る/曲げる/折る/彩色する/活ける/逆さにする/人工物と組み合わせる/などといった作為が加えられていたとしても、基本的には葉脈を走る水の流れが生かされているし、古木においては新たな生命を得ていたりもする。女性がドレスを身に纏うことでいつもとは違った華やかな表情や魅力をみせることがあるように(みせないことも多いが)、華道家にいじられることが花にとっても幸せなのだなあというふうに思える。

ところがこの展示会はいささか趣を異としていた。メインとなるモチーフは巨大な倒木や流木、彩色を施した枝、そしてゴージャスな蘭、蘭、蘭。死せる遺物らに囲まれれば蘭の生命エネルギーがいっそう引き立ちそうなものだが…。たわわで肉厚な花径10cmを超える蘭花たちは、どれをとってもどこを見ても、綻びもキズひとつすらもない。咲きっぷりが見事すぎて、なにがなし人工物クサイ。ほの暗い照明も手伝って、まるでロウ細工のようなのだ。「コレははたして?」とためつすがめつ検証し、そして最後には掟を破って触れてみてようやく「あ、潤いがある」と。たとえば加納姉妹の胸が目の前にあったとしたら、おんなじような反応をしてしまうだろう。アレもはたして本物なのに人工物クサイ。ためつすがめつしたあげく、誰もが触れずにおられまい。会場の蘭はカリさんにいじられて幸せだったのだろうか?

<総括>
今回の展示に限っては、喩えるなら、ビーズで描いた富士山、精緻な刺繍を施したジーンズ、フレンチの巨匠によるテリーヌ。いい仕事をしてるねーと評価できても、個人的にはあまり好きにはなれないモノタチに並ぶ。会場の外で販売していた作品集には好きなものがいっぱい掲載されていたのでたぶんテーマによるのよね。残念。協賛していたどこぞの蘭栽培園の栽培技術には平伏。

*1:訪れたのは5月13日です

*2:といってもさほど多くの華道展を訪れた経験があるわけではないが、いちおう草月流を習っていたことがあるので機会はあるほうだと思う