なんでこんな話をしているかというと


イラク日本人人質事件に関する前フリなのだね。堅いお話の前に柔で和ませておくと。ま、それだけでもないが。あの最初の人質3人(及びその家族)に対する『自己責任』バッシングの元はどこにあるのかなあと考えたときに、いろいろと理由はあれども、なんつーか、彼らはお茶の間市民の期待していた予定調和の枠を踏み外してしまったってからってな見方もできるんじゃなかろうかと思ったわけなのだよ、『セブン』のブラピをみながら。え、唐突すぎるし、こじつけクサイって? まあ置いとけ。

拘束当時の家族会見では、最初はよかったのにアレレなんでそっちへ反れるん? アレレそれは思っても言わないほうがよろしいでは?的なコメントが耳に障ったし、アルジャジーラTVで流された解放直後の本人たちの様子も・・・。

 解放された瞬間って、どんなカンジなんだろね? 疲労困憊で呆然として、嬉しくて言葉もなくて、泣くかな。やつれてはいるよねきっと。眠いだろうしお腹も減ってるはず。それでも第一声はまずお詫びと感謝のコメントだな。うん、感動させてくれよ

ってなカンジでみなさんお待ちだったと思うのよ、平和なお茶の間で。レコード大賞じゃないんだけども、そういうノリが近いかも。受賞したらとりあえず泣けみたいなね。それが、ちと、ってか、かなり違くて。お茶の間で「早く開放してあげて」と同情していた身にしてみれば同情が報われなかったというような不快感があったとは思うよ。それが理不尽な不快感であったとしてもね、否定はしきれない。がっかりさせたらダメ。まあ、だからって・・・そこまでバッシングしなくてもいいじゃんとは思うんだ。そのうちまたいっせいに風向きがかわったりするんだろうか。後から拘束された2名の家族には反面教師があったので予定調和を壊す怖さが身に沁みている部分もあったでしょう、期待される反応ってやつをいくらかは意識してるかもしれないなと邪推せずにいられないのよね。たぶんまったくの邪推だろうけど。
聖職者や通訳さんやテレビクルーに対していくぶん礼儀しらずな言動はあったやもしれず、その点については叱咤されてしかるべきかもしれんね。ただ礼儀って本人に余裕があってこそできるもんだから、あの状況ではそういうのも仕方ないのかなって、そういう考え方は甘いんでしょうか。まあ、礼儀ってのも広義の予定調和なんだけどもね。

あとね今回もそうだけど、大きな事件が起こるたびに被害者に対するマスコミによるセカンドレイプ的な報道合戦にアタシはいつも憤りますわ。家族の背景、財産だのといったプライバシーをあれこれ悪意に満ちて暴くことと、NGOの是非や今年の流行語大賞になりそうな『自己責任』を問うこととはまったく別もん。アタシは今、3人にもその家族にも同情してますよ、心から。

えっと、コレを読んで気を悪くされる人がいたら、ごめんなさい。「そうだ」というんじゃなくて、「そういうふうにみえてしまった」「こういう捉え方もあるよね」ってな話。私見にすぎませんです、はい(ああ、なんて気弱なの…)。