うっとりさせてよ、ブラッド・ピット


予定調和って大事よね。
本でも映画でもそう、この作家ならきっとラスト数ページに怒涛のクライマックスを用意してどかんどかんのカタルシスを味あわせてくれてるだろうとか、このお方が主演するんなら彼のチャーミングな追い詰められ顔をいっぱい見せてよねとか、そういう期待を裏切らないでいてくれるのってが、予定調和のありがたさ。ただしそんで裏切られるとがっかり度もひとしおなんだよね、ちくしょ金返せーみたいな。

とはいえ作家にしろ俳優にしろ、同じパターンの作品ばかり発表していると成長がないと飽きられてしまうので、精力的にいろんな作品に挑戦して、脱皮宣言してみたりする。ほれ、メグ・ライアンのシリアス映画での濡れ場解禁ってのも最近ありましたでしょ(『イン・ザ・カット』)。
脱皮後の姿ってのはおうおう元祖ファンにしてみるとアレレ?だったりするもので、幻滅して「ファンやーめた」になっちまうことあるけどそんなミーハーファンが減って入れ違いに新しいマニアックなファンがついてくれるのならば気分はプラス、成功して一皮向ければステータスはアップするわ演技派の称号を得られるわでしてやったり、で、さらにはアカデミー賞!なんて余禄もついてくる(かもしれない)。とメグはがんばる。ただし新しいファンがつかないまま「終わった」と言われてしまうリスクもありで、そこはそれ運命の別れ道。道を間違えちゃったのが、デミ・ムーア(し、しどい・・・)。

んで、今日曜劇場で『セブン』を観てんだけども、ブラッド・ピットはどうなんだ?と。
『ジョーブラックによろしく』のパツキン+ブラックスーツの彼はそれはそれは見事なきまりっぷりで、それまで「ブラピは美形だ」といくら周りが騒いでいても「そーかあ?」だったオレをして「お美しい〜」とうっとりさせてくれやがったもんだが、やはり顔が綺麗な(という設定の)俳優に限って「オレは顔だけの男じゃない!」と汚れ役をやりたがる。ブラピもその典型で、自分で脚本を選べるくらいに出世してからセンスの悪さを露呈しはじめ「おいおい」な役が多くなりーの、後味がけったくそ悪い作品が多くなり−のったら、ねぇ。今観てる『セブン』なんて最たるもんだし、エドワード・ノートンと共演したあれ、なんだっけ、『ソープ・クラブ』みたいなやつ…あ、違うわ『ファイト・クラブ』だった。でもあのポスターって石鹸の絵だっただろ。あと、そうそう、ハリソン・フォードと共演したIRAテロリストのやつも後味悪かった。ハッピーエンドは名作じゃないっていう勘違い法則に支配されちゃってるんじゃなかろうか、奴は。もういっかい、オレをうっとりさせてよ、ブラピ〜。後で最新作はどんなんだか調べてみよう。