風の噂のパン屋さん


実話である。
「おいしいパン屋が…」
お母さんが子供に話しかけていたのだろう、アタシの脇をさーっとすり抜けていく自転車が残していったフレーズ。え、美味しいパン屋がどうしたの? 聞き耳をたてる。でもそれきり、自転車はもう先に行ってしまい、続きはわからない。
と、1分もしないうちに、まったく別の自転車親子がこんども通りすがりに、
「おいしいパンを…」「うん」
という会話を残していってしまうのであった。
な、なんだ?なんなのだ? 「美味しいパン」強化月間か、誰かの陰謀か!?
そのとき。ふと、アタシは思い出した。そういえばひと月ほど前、新築マンションの1Fに手作りのパン屋がオープンしたんじゃなかったかと。住宅街にぽつんとできたパン屋は、家からだと駅とは反対方向にあるので、わざわざ行くのもかったるいからとほとんど忘れかけていたけれど、ううむ、自転車の去っていった方向にも一致する。ちょうどお昼時。ランチにパンでもいいじゃない、見てから決めてもいいし。
で、行ってみた。わりと人の出入りがある、店内も人でごったがえしている。オープンから時間もたってこれならば、かなり期待できそう。買ってみた。食ってみた。
「あ、美味し…」
すごくしゃれたパンとかじゃなくて、小麦粉はフランス直輸入とか、そーいうこだわりもなさそうな、チェーン店でも有名でもない、ふつうの町のパン屋さんだけれども……ふかふかのパンがどんどん焼きあがってくる。おいしそうな調理パンがならぶ。飽きのこない気さくな味で、値段は気軽。こういうお店が近所にあったらいいなぁ、というようなパン屋さん。そうか、みんなこの美味しいパン屋の噂をしていたのだった。これなら噂したくなるのもわかります。
それにしてもちょっと不思議な日曜日の出来事なのでした。