台風一過、車窓から


宮古島付近で進路を決めかねて優柔不断の足踏みをしていた台風21号が、そんなのアリかよ!?の直角転回を見せて日本列島を縦断していった。
今年は台風が当たり年。にもかかわらず今回も関東地方はかすった程度。避難所のおばあちゃんとインタビュアーの間に「何回目ですか?」「3回目です」などといった会話が成立していたりするほど集中攻撃をくらった九州、四国、新潟のあたりの方々には申し訳ないが助かった。やはり天災を乗り切るのも気持ちひとつかもなんてことをニュースから学ぶ。「(避難所生活は)大変でしょう」「いえ、こないだ数十日も暮らしましたんで、もう慣れましたわ。ひゃっひゃっひゃ」。笑っていなすおばあちゃん。笑える状況じゃないでしょうに。「もう慣れましたわ・・・・」と、どよーんを振りまくことだってできるのに。酸いも甘いも噛み分けて精神を鍛えられたお年寄りは泣く子とお天道様には勝てないの気持ちが実践できるのだ。自分がその歳になったときに愚痴らずに笑える度量が育っていればよいが、甘いばかりで酸いがないからどうなることやら。
さて台風が通り過ぎた後はスモッグがなぎ払われて空気が澄み、空の色がいつもと違う。青さにも透明感があって爽やかだ。車窓から見る富士山。天気のいい日にはたまに見えることもあるがこれほどくっきりとはしていないし、今日は富士山以外にも緑連なる山並みがうっすらと望め、関東は殺伐とした平野のその向こうにはちゃんと緑豊かな山がいてくれるのだね、なんてことを感じて、ほっ。見慣れた市街地の景色も常になく輪郭がはっきりしていてやはり常より美しいように思える。メガネを変えたばかりのときのような、クリアで新鮮な視界。
しかしそんないい気分を遮る無粋なものがあった。電車のドアのガラス窓中央部に貼られている広告がソレ。葉書大程度で小さめでも、ちょうどアタシの目の高さにあって視界の真ん中を遮るのでかなりうっとうしい。うざうざである。通勤電車での気晴らしは1に中吊り広告を読むこと、2に車窓を流れる景色を漫然と追うことだ。開かない側のドア位置をキープし体重を預けられればかなりラッキーである。窓外の景色も楽しめる。でもドア窓の真ん中の無粋なもののせいでちょっとイラッとする。凭れられる位置でなくとも、人の間から外が見えるときにも、わずかな間隙をさらに狭められてムカッとくる。剥がそうにも外側から貼られているのでムリ。駅のホームでドアが開く前の一瞬の隙をついて剥がしたろうかなんてことを妄想するが、ムリくさいのでまたまたイラッ。最近はドア窓の上の細いスペースにも広告が貼られているが、これは「せこいなあ」と思うぐらいで実害はない。そりゃ、確かにドアは多くの人の目に触れやすい位置かもしれないが、せめてシンドイばかりの通勤客のちょっとした楽しみを邪魔するガラス窓の広告だけはやめてほしいな、と思う。天災は我慢できても、これは人災。我慢できん。