栃木県児童虐待殺害事件


むかつく事件である。
虐待の加害者が肉親(たとえば母親)だった場合、児童相談所の職員たちにいくら聞かれても被害者の子供が虐待の事実を否定するということはあるようだが、今回は父親が身を寄せた先のただの知り合いのオジサンにすぎない。それならただの暴力事件だ。子供らはなんどか明白なSOSを発信していたに違いないし、事実、児童相談所が介入し一度母親の元に引き取られたという経緯があった。その段階においては子供を母親の元に置くという条件が提示されていたはずなのに、なぜ元夫がまた子供たちをひきとることになったのか。事情はいずれワイドショーによって丸裸にされることだろう。
いずれにせよ、かつて虐待されていた環境にもう一度年端の行かぬ子供を連れ戻すということが、子供にとってどういうことなのか。父親がこの状況を知っているということを、いまや子供は知っている。ではどこに助けを求めればいいのか?どこにもないではないか。絶望的だ。そんな場所に子供を置いた父親の責任は大きい。「悪いやつだとは思っていたが、まさかここまでやるとは思わなかった」と彼は悔恨するが遅い。「ここまで」の歯止めがわからないから、事件は起こる。
それにしても犬や猫を捨てるんじゃないんだから、寝ているのを川に放り込むとはなにごとだろう。いや犬や猫だって許されんが。今朝、家を出る時点では幼い兄弟の兄の消息はいまだ不明だった。生きたまま川に落とされたということなので、もしかしたら、意識を失ったまま下流に流されてどこかで助かっているかもしれない、そんなニュースになればいいなと思っていた。でも事実は残酷だ。残念でしかたない。