NEETな52万人and I


先日(9/10)の日記に書いた自殺者世界で年間100万人というのを読んだ友人から


でも今日のニュースで若年無業者52万人でもっと驚いた。やる気のない、生きる気のない人がふえているのかなぁって。単純にはいえないのだろうけどね。これって親の責任もあるよね。具体的にどうして無業者の状態になったのかってことが知りたいなと思う。


とのメールをいただいて今度はアタシが驚いた。
52万人って、これ、日本でってこと?・・・だよな。世界ならもっと多いか。まあ、アタシももはや若年に数えちゃもらえなかろう(F2層のくせに「なかろう」と語尾をぼかすあたりが往生際)が、昨年は無業者の一人だったのでわからなくもない。根本的には親の責任よりも本人の責任だろう。
アタシの場合においてどうしてそういう状態になったかというと、まず人間関係に疲れ仕事に行くのがヤになって新しい仕事をお断りし続けていたら、新しい仕事の話が来なくなった(当たり前だ)。でもま、貯金はそこそこあったし、いざとなったらなんとかなりそうな雰囲気も社会に満ちている。アタシの金がなくなっても、父ちゃんや母ちゃんが小金を貯めこんでいるみたいなので、最悪でも飢え死にすることはなかろうと。そういう甘えが無業状態を長引かせ、結局1年以上ぶらぶらしてた。そのうち、無業状態に異常性をおぼえなくなって、なんで働かなあかんの?というばちあたりな感覚さえ芽生えてきた。寝たいときに寝て、起きたいときに起きる。実際起きてもすることなくて暇なので腹が減るまで布団の中でぐだぐだしていた。腹が減ったら起き、食いたいもんを食うのであった。時間はありあまっていても活動レベルが落ちていると、自炊する気がしないのでほぼ外食か弁当。外出は遊びに行くと金がかかるので極力抑え、食い物調達のほかには、図書館やツタヤに行って本やビデオを借りてくるぐらい。掃除をするのも面倒なので家の中はちらかってゆき、居心地が悪くなる。仕方ないので本を携えドトールへと避難する。そんな生活をしていたら、出費をおさえてみても貯蓄はみるみる目減りしていった。
アタシがその状態を脱したのは、「人間は暇すぎても生きづらい」というのに気づいたのと、やっぱ金がないのがつらくなったので。いくらなんでも生活費を貸してなんて親には言えねーよ。金がなくても消費者金融は絶対×なのよ、アタシの主義としては。結局、夏休みの宿題を最終日2日に徹夜して怒涛のごとくやるように、追い詰められないとやらない人々は、追い詰められてようやく目を覚ます。今のNEETな方々も親が面度をみてやるのをやめりゃだいぶNEET人口は減るんじゃなかろうか。
さてパラサイトの進化系なこうした無業者をNEET(Not in Employment,Education or Training)と呼ぶらしい。誰が決めたのやらNEETとはねえ。実際に比べてなんともかっこいい音感だこと。「俺、今働いてないんだよね・・・」と垂れた稲穂が、「俺ってニートなんだ」と胸を張っちゃいそう。こういう記号化は帰属意識を生んで、それまでの罪悪感を安心感に置き換えてしまう。なーんだアタシだけじゃなかったんだと、開き直る材料になる。そして個人の問題が社会の問題にすりかわる。素人売春が援助交際になったように。社会に問題がないとはいえないが、本人の自覚の問題率90%だよなと、元NEETなアタクシは思ふ。いやはや所業無業。