ヤクルト姉さんがこわい


古典落語の「まんじゅうこわい」的オチではない。通称ヤクルトおばさんたちはオフィスを巡回して売り歩く。現在、アタシが詰めているオフィスにも毎朝10時前後に販売に訪れる。くるのは、わりと若めの女性、なのでヤクルト姉さん。で、何がこわいのか。
実はこちらのオフィスに詰めて3ヶ月、一度も彼女から誰かが何かを購入しているところを見たことも、聞いたことも、気配を感じたこともないのである。姉さんがすごく感じ悪いとか、いじめで不買運動をしているというわけではない。なんの罪もない彼女は「どうしてここでは誰も買ってくれないの?しくしく」と疑問符の海で泣きたい気持ちになっていることだろう。アタシはその理由を知っている。オフィスの中に自動販売機が置かれているからだ。それはわりとよくあるシチュエーション、なんのへんてつもないコカコーラ社の自販機なのだが、これがくせものなのである。安いのだ。通常120円くらいの缶やペットボトルを70円で販売しておる。会社のささやかな福利厚生なのか、それともコカコーラ社の販促戦略なのか、よーわからん。いずれにせよこの70円という割安感から、自販機の売り上げはかなりよい。他方、自販機で格安に喉を潤すことを覚えた社員どもは、あえてヤクルトに走るという挙動に走ることがない。「おはようございます、ヤクルトで〜す」、朝10時ごろ姉さんは台車を押して訪れる。第一声は'いちおう’明るい。1秒ほどの沈黙の後「ありがとうございました」と去っていくときの声音に含まれる厭世観。こうして毎日毎日訪れれば、いつか気持ちは通じ合うはずだわ。いつか誰かが買ってくれるはずよ。そんな健気な気持ちが続くのはどれくらいだろうか。売れない日々の中でヤクルト姉さんは徐々に心が凍っていく。一生懸命明るく振舞おうとしても日々募る苛立ち。そんなことを感じるようになってからアタシは毎朝彼女の声を聞くのがこわくなってしまった。「おはようございます、ヤクルトでーす……ありがとうございました」。なにかものすごーく罪深いことをしているような気になる。今日もヤクルト姉さんはやってくる。「ありがとうございましたぁ…」。去っていく。ああ、こわい。いつか切れるかもという緊張感は増していく。だってなんか日々、こわくなるんだもん。「ありがとうございました…(ぶちっ)」
そこまで言うのならお前が買え? うーむ。そうなんだけどもアタシは自販機の70円でさえ出し渋る女なので、すまんのう。
そういえば以前詰めていたオフィスにはヤクルトさんが喜ぶからと毎日ヤクルトをパック(5〜6本?)買いしているオジサンがいた。最近腹がでてきちゃったのでいちおう糖分の含まれるヤクルトも控えようかなとぼやきつつも、ヤクルトさんをがっかりさせたくなくて*1、毎日せっせとヤクルトをパック買いして腹を肥やしてゆくのであった。いい人だ。

*1:前に一度「今日はミルミルにしておくね」と言ったら、すごく寂しそうな顔をされてしまったそうだ