『東京フィル第690回定期演奏会』


Bunkamuraオーチャードホール 2004/6/13 15:00

Pさんのお招きで久しぶりの生オーケストラ。ありがたや。
やっぱり生は違います。といっても日ごろからCDで耳を肥やしているわけじゃないけれど。え、それじゃまったくの猫に小判って。はい、まさしく。でもなるべくバカ猫にならないように一生懸命誠心誠意拝聴しました。もちろん眠り猫になるなんざ論外。
強い味方になってくれたのが、タダで配られた演目プログラム。わりと立派な冊子で、演奏楽曲についての解説がかなり詳細になされておりまして。アタシでもわかるように、作曲家がどんな人で、曲がどんな背景を持ち、どんなストーリーをふまえているか、そして聴き所のポイントは…なんてことが1曲につき数ページにもわたって懇切丁寧に書かれております。
とくにマルティヌーの曲は日本初演ということもあってさらに気合が入った懲りよう。この解説を書いた人、わざわざこのためにイタリアまでフレスコ画を観にいったんでしょうね。フレスコ画の所在地「アレット駅から坂を上って15分ほどのところに」なんて描写は、おいおい旅のガイドブックかよってな。もちろんフレスコ画の写真入り。そこに描かれた「聖十字架伝説」のストーリーは1から10まで、そしてどのシーンがどこで楽器や旋律でいかに表現されているかまで突っ込んだ、痒いトコに手の行き届いたまさに鉄壁のあんちょこ。地球の歩き方ならぬクラシックの歩き方。ずーっとコレをカンニングしてたおかげで、「ふむ、なるほど。今の金管楽器が英知の王ソロモンの登場なのね」「そしてこのフルートがコンスタンティヌス帝のまどろみを覚ます鳥の声か」なんてふうに楽しめたのでありました。ああ、ありがたや。
いちおうドヴォの『新世界』ぐらいは知ってまっせ。というわけで、マルもヤナも解説書があったので飽きることはなかったけれども、やはり耳に馴染んだ曲はまた違う。前2曲ではオチこぼれないように必死だったのだもの、こっちはちゃんと家で宿題をやってきた授業みたい。楽ちんだ。第二楽章の主題「家路」が流れた日には頭の中で「帰ろ〜かな〜」と一緒に歌っちゃったりして。
ところでこの「家路」って無知なアタシはアメリカ民謡を借りてきたんかと思っていたんだけど、ああ、勘違いだったのね〜。「新世界」は彼がニューヨーク国民音楽院の2代目校長のときに作曲したもので、「家路」の旋律もアメリカ民謡や黒人霊歌の影響を受けたにせよ彼のオリジナル。ニューヨーク国民音楽院で同僚だったフィッシャーが歌詞をつけて発表して「家路Goin' Home」になったと。ふーむふむ。一つ賢くなりました。いまごろ遅いか。しかしこれほどポピュラーでわっかりやす〜い庶民的な旋律をクラシック音楽の主題にしてるなんて珍しいよね。クラシックってもっと高尚なもんじゃないのか。いや、アタシにはこういうほうが嬉しいですけども。
なんにせよ、いい刺激になりました。アタシもいつか市民オーケストラに加わりたいなーと思って、家に帰ってから少し気合を入れてヴァイオリンの練習をしてみたり。ふふ。