『コールドマウンテン』

レニー・ゼルウィガー目当てに行くなら、はずれなし。
都会から南部の片田舎コールドマウンテンへと赴任してきた牧師の娘エイダ(二コール・キッドマン)は、村の無口な美丈夫インマン(ジュード・ロウ)と恋に落ちる。だがすぐに彼は南北戦争に出征してしまう。寄る辺ない身となったエイダは農婦ルビー(レニー・ゼルウィガー)と共同生活をはじめ、徐々に逞しくなっていく。一方インマンはエイダに会いたい一心で軍を脱走、故郷を目指していた。*1


レニーは主役じゃないので登場はわりと遅め。
待たされたあげくなのと、第一声の頓狂さとの相乗効果でまさしく「でた〜」という感じ。さらにおまけで、顔が大写しになった瞬間に、おぅっっ?とのけぞらせてくれるというサービスも(え、サービスなの?)。彼女、女優にしてはブスだと思っていたが、えっと、ここまでブスだったっけ? いやいや、思い起こせば『シカゴ』しかり『ブリジット・ジョーンズの日記』しかり、なんか彼女の場合は毎回そう思っているような。でも『コールド』でそう感じたのも無理からぬこと。役作りのために体重を増やしたという、役者魂による人造ブス・ビジュアルだったのだ。

のけぞるほどブスに見えたのには、もひとつ情状酌量の余地がある。
それはジャッジを下すアタシの審美眼の問題。レニーがスクリーンに登場するまでは二コールとロウの独壇場。出会い、恋に落ち、初めての熱い接吻を交わし(初めてのわりに濃厚)男が出征してゆくというベタなロマンス路線だったのだ。美しい田園風景の中で繰り広げられる超!美男美女による絵に書いたようなベタベタをうりうり見せつけられて、ビューティセンサーが振り切れていたはず。その瞬間に鏡で己の姿を見せられたならばおそらく10人中9人は絶望感を覚えるんじゃなかろうか。ま、それにしても…うーむ。うーむってのはレニーのことよ。一瞬ね、ホントに一瞬だけだけどもキャシー・ベイツが出てきたのかと思ったもん。とはいえ最初にブス度のピークをクリアしちゃえば、後はブス山を降りてゆくのみ。男勝りのがさつ女のくせに、キュートで愛しく見えてくるのはブス山効果、いやいや、半分以上はさすがアカデミー助演女優賞の演技+本体の魅力ということでしょう。

二コールとロウは文句なしに美しい。
この二人がいちゃついているとまるでディズニー・アニメの実写版、綺麗すぎて嘘くさいほど。美形二人にギャグともとれるほどのポエマーくさい台詞を吐かせていたのは、きっとミンゲラ監督の狙いだろう。監督の期待に応えてウブな初恋を演じる、実際には百戦錬磨な二大美形。うざピンクな空気に観客を辟易させておいてこそ(ええ、少し飽きました)、それを問答無用にブチ斬るレニーの逞しさが生きてくるという構図。クレジット3番目だろうと、一番美味しいトコどりやね。
あ、そうそう、怪優フィリップ・シーモア・ホフマンさまもご出演中。外道役でもアホ&キュート。エイダの父親役ドナルド・サザーランドはこなれた大人のかっこよさ。うっとり。

ストーリーにも触れておこう。
逞しく生きる二人の女の『風と共に去りぬ』と、脱走兵のドンファン風『ダイハード』の二層構造。お話はけっこう暗い。悲劇てんこ盛り。良くいうとドラマチック、悪く言うと古臭い。映画自体にもまったく同じことが言えて、丁寧に作ってあるけどなんか古いぞと。
義勇軍という名のならず者が幅を利かせ不幸の種をふりまく。生々しい南北戦争の戦闘シーンがえぐえぐと続く。南北戦争の描写には大量のエキストラを投入して、ずいぶん金がかかっていそうだが、スケール感以上の効果があったのかというと、さてね。
平均寿命の短い時代だけあって全編を通じてやたらと人が死ぬ。終盤になると死に対する感覚が麻痺してくる。誰それが死ぬたびにそれを悲しみ悼むという感覚がゼロにこそならないものの、ずんずん話が進むので深く考えている暇がなくて、で、いつしか、誰々が死んで誰々は助かったということがただの分類になり果てるという。おかげでラスト近くの悲惨な展開もあまり衝撃を受けずにすむのだけれど、いいのかなそれって…。
傑作なんで絶対見てねー!なんて口が裂けてもいえないが、レディスデーでならソンはなしかと。一言で言うなら、無難。
(追記)原作では子供(十代?)設定らしいね。これはかなり重要なポイント。役者の年齢を−10ほど脳内変換して観るべし。

*1: 2003年アメリカ、原作:チャールズ・フレイジャー、監督・脚本:『イングリッシュ・ペイシェント』のアンソニー・ミンゲラ、上映時間:2時間35分